38歳の後半で、念願の第二子の妊娠を確認でき、幸運を天に感謝していた日々も束の間、次の検診で「受精卵の成長が止まっています」と先生に告げられ、頭を殴られたような衝撃を受けました。さらに翌週の受診でも状況が変わっていないことを確かめ、先生から「残念ながら、今回は流産ということになります。」と言われました。想像していなかった現実に動揺しつつも、次の決断をしなければなりませんでした。
「自然に流れ出る場合もありますが痛みを伴いますので、手術をする方が多いです。手術は全身麻酔になりますが、日帰りでできます。うちの病院では入院施設がないので、近くの病院に紹介状を書きますが、ご希望の病院はありますか?」と淡々と説明を受ける。頭の中では、悲しみでそれどころではないのに・・・。とりあえず手術は痛くないからよかった、とか日帰りだから職場には言わなくても大丈夫かな、よかったとか、いつ出てくるかわからないというのも困るので手術することを選択する。
手術まで何も考えず何も感じないようにして過ごす。
いよいよ手術の日、成長していないとはいっても、お腹の中に確実にいる子と別れなければならない悲しみで押しつぶされそうになる。それに、手術なんて初めて、全身麻酔も初めて・・・もう何も考えたくなかった。しかも案内された病室は産婦人科のフロアで、新生児の泣き声がよく聞こえた。
診察を待つ椅子で、涙が止まらなかった。流産がわかってからずっと平気なふりをしてきて、夫や娘の前でも泣けずにいた。その我慢していた感情が一気に溢れ出た。もう何も気にせずに泣いた。両目から涙が滝のように流れた。担当医の先生が「産婦人科と同じフロアだから辛いですよね・・」とよしよししてくれた。そう、こんな風に誰かに甘えたかったんだ・・・。私は子供のように泣いた。
ベッドに寝かせられて、ドラマの中の人のように、ベッドごと移動して手術室へ運ばれた。これまたドラマでよく見る手術灯だ。ああ私、人生で初めての手術なんだ。全てのことに現実感がなく、お腹の赤ちゃんとさよならすることと、それが自分の身体にとって良いこと、ちゃんと手術しておけばもう一度妊娠することだってできること、だから先生や看護師さんたちに全てを任せておけばいいんだ、と妙に穏やかな気持ちになった。麻酔科の先生が来て、麻酔が始まった・・・とそこで私の記憶は途切れている。手術に対する恐怖心や悲しみも、あまり感じずに済んだ。
すごくよく眠った爽快感を感じながら、病室で目が覚めた。ああ、無事に終わったんだな、もうお腹の中には誰もいないんだな、と。もっと辛いかと思ったが、意外にも心地よい安心感で包まれた。外は優しい春の午後の青空だった。
しばらくして看護師さんが来て、気分が悪くないか、めまいがしないかなど聞かれる。ぜんぜん!とても調子が良い。軽食を食べて、目が覚めてから2、3時間後には病室を後にした。
一応、夫が迎えに来てくれたんだっけ。
帰宅してしばらくしたら娘が帰ってきて、そうなると全くいつもの日常だった。ああ、今日手術したのに・・・と昼に自分に起こったことが別世界の出来事のように感じ、とても不思議な感覚だった。しかし何も考えたり感じたりする必要がない慌ただしい日常が有難くもあった。
翌日は何事もなかったように仕事へ行き、いつも通りの私を演じる。人はきっと辛いことほど人知れず抱えるものなんだ。そして、私も、みんなが抱えているものに気が付かないでいるのだろうな。
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